先日、君の膵臓をたべたいを見てから思った以上に取り乱したのでちょっと考えてみた。
私の好きな物語のタイプについて。
「君の膵臓をたべたい」が、とても良かった。
なにがそんなに良かったのかいまいちわかっていないのだが、感情的にがっつりもっていかれたので、間違いなく良かった。
感情的なことなので、言葉にする必要はないのかもしれないが、数あるアニメや映画の中でなぜキミスイがハマったのか、自分でも気になるので考えてみたい。
ヒントになりそうなのが、見終わってふと感じたことだ。君膵はこれまでに見てきた「四月は君の嘘」や、「サイダー色した夏の雲」に似ているなと思った。
どちらも好きだが、サイダー色した夏の雲とかはもう、私にとって聖書みたいになっている。
共通項を探してみたら、どれもヒロイン(主人公)が死ぬけれど、残された側は最後は爽やか、ということがわかった。どうやら私が一番心に残ると感じる話の構成は、死んじゃってつらいけど最後は爽やかなやつ、らしい。それと、たぶんこれがポイントのような気がするのだが、死ぬ方は最後に、手紙を残している。
君膵も、君嘘も、夏雲も、全部、手紙(ノート)を残している。そしてそこでめちゃくちゃに泣かされる。
私は手紙に弱い。ここ数年だと、「世界から猫が消えたなら」もそういえば手紙のとこでめちゃくちゃに泣かされた記憶がある。
手紙って、たしかに泣ける。
テレビで感謝を伝える系のドキュメンタリーや、結婚式での親への感謝の言葉読み上げなんかも、手紙だ。人生の泣ける場面というのは、案外手紙が出てくる率が高い。
Twitterで例えてみよう。
Twitterというのは、全体公開される場でのつぶやきからはじまって、リプライという全体の中で二人のやりとりをして、やがてDMで二人っきりで話をするようになる。Twitterの使い方を間違えた人の中には、そういうことがある人もいると思う。DMとはダイレクトメール、つまり手紙のようなものだ。
それを送るって、つまり恋だ。それくらい相手を気に入っていないと、DMなんてしない。「あなた」に「私から」のメッセージなのだ。二人きりで話そっ、なのだ。
ほいほいDMを送りまくる軽いノリの人もいるかもしれない。でもそういう人ほど愛されたり好かれたりする。わかる。私は詳しいんだ。
手紙の話をしてたのに変な方向にこじれてしまった。これだからTwitterはダメなんだ。
もう一つ、上で挙げた作品の共通項をみつけた。
ヒロインが、明朗快活なのだ。
明朗快活が表現として正しいのか自信がないためググってみた。
「明朗快活」とは、「くよくよと悩まず、明るく活気のある性格」という意味です。 「明朗」とは「心にこだわりがなく、明るい様子」のことを指します。
要は明るく活気のある子、だ。
君膵のさくら、君嘘のかをり、夏雲のヤマメ、どれも当てはまる。明るさに加えて、好奇心が強く、楽しそうにする。そして、ぶれない芯がある。明るさの影に、抱えたものがあったりする。いいよねえ…。明るさの奥に重たい何かを抱えている子……すき…。
「もっと話したいことがあった」「まだ君とやりたいことがあった」、そんな幸せな未来が、どれだけ望もうと二度と叶うことがないという事実に、人は耐えられない。
けれど私はそれを、美しいと思う。人はそういった美しさを、失ってから気づくものだ。
愛する家族も恋人も、失って気づく大切さというものが、絶対にある。失わないと見えないものがあるから、人は死別という物語で、悲しみ以外の感情をみつけることができるのだと思う。
死んだ者の思いというのは、美しい。それを形にしたものが、手紙なのだ。
死者は語れない。しかし、手紙なら死後に語れるのだ。二度と聞けないと思っていたことを、最後に聞くことができる。これが本当に最後の最後だよ、と。本人もそう思って残すから、思い残すことがないように感じる。それを知って、残された側は救われる。
書いていて切なくなってきた。
終わろう。ハマった理由なんて考えても仕方がないのだ。手紙が好きだとわかったところで「ヒロインが死んじゃうけど手紙を残す系の映画を教えてください!」なんて思わない。
それに、キミスイは内容に惹かれたというよりも、アニメ演出に惹かれたんだと思う。見返した中で、ここいいな、と思うシーンが結構あった。アングルとか、表情の変化とか制作側のこだわりを感じて、そのへんの演出がすごく個人的にハマった。好きなシーンはだいたいさくらが可愛いシーンなんだけどね…
やっぱり、女の子が可愛かったからハマっただけなのでは…?
好きというなら、そうだ。この髪型がすごく好きなんだけど、こういうちょっとリアル寄りの髪型の女の子が出てくるアニメを教えてください。
ハマった理由の結論
さくらがタイプの子だったから