『疲れない』ようになるブログ

やってみて、どうだったかの記録

スケジュールを組んでくれるお姉さんがほしいという話

なんだか毎日流されて生きてしまっているので、自問自答しながら書いてみる。

 

◯普段なにしてるの?

・毎朝起きてから出勤まで、何してる?

・帰宅してから寝るまでに、何してる?

 

この答えにはすまし顔で「読書」「筋トレ」「自己投資」と答えるはずなのだが、どういうわけか「スマホを触っている」という答えしか返すことができない。頑張ってここ1ヶ月くらいの生活を振り返ってみたが、どの日に遡ってもスマホをいじっている自分しか見つけられない。どういうことだ。

どうもこうもない。私は怠惰なので、私の予定表に誰かが予定を書いてくれなければ何もしない。

予定がなければ私の行動はオートマチックでスマホいじりが選択される。自由時間の予定を全然立てられないので、誰かにマネジメントしてほしい。お金があればスーツのお姉さんを雇っているところだが、なにせ金がない。「やまさん、筋トレの時間ですよ」そうやって話しかけてくれるお姉さんがいれば毎日うまくいくに決まっているのだが、金がないのでできないのだ。

自由時間の多くは趣味のあう友人とLINEのやりとりをしたり、せっかくアプリを消したのに手間をかけてせっせとブラウザからTwitterを起動しては閉じたりしている。突然やる気が出て猛烈に株価をチェックし始めたり、ノートに1日の反省点を書き込んだりすることは、まずない。洗濯をしたり食器洗いをしたりすることも、奥さんに任せがちだ。

じゃあ何をしているんだ?スマホをいじっている。お姉さんがいないせいだ。

 

◯具体的に予定を立てる

私はホリエモンではないので、美人秘書は雇えない。なのでやはり自分でなんとかスケジュールを管理しないといけない。

理想のスケジュールはすでに出来上がってはいる。朝は5時に起きて軽い運動をしてから株のチェック、夜はノートに思考のアウトプットをして21時半に就寝する。この理想の生活をときどき思い出しては忘れ、1日たりとも達成することなく毎日を過ごしている。夜は仕事帰りで疲れているからご飯食べたらちょっと休みたいし、もともとネットで情報を拾うのが楽しくて11時くらいまでスマホをいじってしまうことが多いし、冬は寒いので二度寝

 

書いていて嫌になってきた。誰の話をしているんだろう。本当に私の話なのか。私の話なのだ。どんなにひどくても現状を認識するのは大事だ。

人は失敗から成長する。これは紛れもなく失敗だ。そんな感覚はなかったが、私は毎日を失敗し続けているらしい。敗北を知りたがっていた中国の海王が実は敗北し続けていたように、私も敗北に気づかずに生きている。そんな人間は同じようにさっさと退行したほうがいい。昔と違って自律神経も安定して夢を追える身でありながらこの体たらく。私はそういう認識でいい。やりたい意思があり、やればやるだけやれる環境にいるのだ。もったいないさを語ればきりがないだろう。

 

◯行動する

最も大事なのは、行動することだ。何度言っても言い過ぎということはない。思うだけ、読むだけでは人は何も変わらない。変えられそうに感じるが、変えられない。変えられる方法は、行動することだけだ。

というわけで、5時にアラームをセットした。今日は何時に寝ようがこの予定は変えない。そして、テーブルにはPCを開いて置いておく。明日の朝はブログに読書のアウトプットをする。具体性が強いほうが達成できる確率が高くなるため、本も決めておく。「デジタル・ミニマリスト」にしよう。この本のことは前にも書いたが、新しく書きたいことがあるのでそれを書くことにする。

最悪、起きてなにもしなくてもいい。朝5時に起きることができれば良いこととする。 

 

◯毎日続ける

これも最も大事なことの一つだが、最もできないことの一つでもある。質も量も落としてもいいので、毎日続ける。本なら1ページ読むだけでもいい。チャートなら1銘柄みるだけでもいい。

夜は仕事から帰って夕飯食べ終わったらもう20時半くらいになっている日も多い。そんな日は諦めて、そこから頑張って寝る時間を遅くしないようにするのが大事。寝る時間は21時半、起きる時間は5時だ。これは変えない。

あとは、寝る直前にPC画面を見たり筋トレをすると寝れなくなるとか、そんなことは気にしなくていい。寝付きがどうであろうが、まずは就寝時間と起床時間が守れればいい。寝る直前までブログをやっててもいいし、筋トレをしてもいい。「効率」はときに大きく行動やリズムを制限してしまうことがあり、習慣化の大敵になり得る。私も効率を気にして逆に何もしなくなるタイプなので、意識して効率を無視する必要がある。

 

◯まとめ

お姉さんがいなくても、なんとかやっていかないといけない。

効率は考えず、完成度を考えず、習慣化のための習慣を。