疲れを可視化しようとするとき、私は濁った水をイメージする。
疲れていない時は綺麗な透明の水だが、疲れが溜まっていくにつれて濁っていくイメージ。
お腹が空いたらご飯を食べるように、疲れたら瞑想するようになった。1日3食ではなく1日3瞑想。糖質を摂取しても疲れはとれないが、瞑想を摂取する疲労はてきめんに取れる。
今日もまた、飽きずに瞑想の話をしようと思う。すんごいハマってるのだ。始めてからここずっと最高に調子がいい。
瞑想時間と睡眠時間についてだが、1日の瞑想時間は、夜の睡眠時間に加算してよいのではないか、という仮説が私の中で立っている。
例えば、朝に20分、昼に20分、夕方に20分瞑想したとして、夜に6時間寝たとする。
この場合、睡眠時間は7時間と換算する。
2週間ほど、朝、昼、夜と瞑想する生活を実践してみて気づいたが、驚くべきことに6時間半くらいの睡眠時間でも、起きた時のスッキリ感やその日の体調は7-8時間睡眠したときくらいのものになることが多かった。(むしろそれ以上)
いつもなら6時間半の睡眠だと確実に睡眠不足で眠かったり頭が働かない感じが出るが、ちょこちょこ瞑想を挟むとそれが出ない。それどころか、常に目がパッチリしていてやたら覚醒している感じがする。
イメージ的にはこうだ。
1日働いて濁りきった水を、7時間半の睡眠でほぼ綺麗にすることができるが、それ以下の睡眠時間だと綺麗にしきれず、濁りが残る。そしてそのまま仕事へ向かうことになる。そうすると、作業中の集中力低下や、目の疲れ、疲労による生産性の低下が生じてくる。
瞑想は、この濁りを薄める作用がある。午前に濁った水を昼の瞑想で綺麗にすることができるので、午後が疲れていない状態で働けるし、夜になっても昼に浄化した分、濁りが少ないため、少ない睡眠時間で水を綺麗にできる。
そんなイメージ。
休憩時間に瞑想するのか、Twitterやネットサーフィンをするのか。
その選択は、濁った水を綺麗にするか、より濁らせるかという選択に他ならない。休憩時間にする行動は、その時だけの影響ではなく、その日の疲労の回復に必要な睡眠時間も変わるのだ。
そして、疲労は「二次曲線で積み上がる」ものだ。疲労感がある状態から疲労すると、ものすごいところまでいく。ただの足し算にならず、回復にも時間がかかる。
疲労は軽いうちに叩くのがいい。だからこそ、ちょいちょい軽い瞑想を挟むのだ。
1月いっぱいはこの習慣を続けて、ブログの体調ログをいったんまとめてみようと思う。